愛と慈しみの阿修羅とキャンプ場の朝日

ユウ_zetterlund

2008年04月05日 14:54





興福寺の阿修羅は、なんと美しい面立ちなんでしょうね。

慈愛に溢れ、優しさに満ちたその顔に、奥深い意味を与えてるのは眉。この眉を隠してみると・・・そこには憂いを微塵も感じさせぬ、優しく美しい顔が現れます。

そしてなぜか初恋のときのような、なんともいえない感情がわきおこるような、そんなどうしようもない気分を覚えてしまうんです。もしかしたら、阿修羅を彫った仏師が全身全霊で“愛”というカタチのない感情を封印していたから・・・
なんて、思わずにいられません。阿修羅といえば、悪役として語られることも多いですが、実は愛情に殉じた存在だったんです。

娘と伝えられていますが、もしかしたら恋人だったかもしれない“愛する存在”を帝釈天に強奪されたため、相手が神であるのを承知で、自分の全存在を賭けて戦いを挑みます。まるでサラリーマン金太郎のようです(単なるイメージです。気にしないでください ^^;; )。

神である帝釈天に勝てる可能性なんてほとんどゼロに近いのに、愛する人を取り戻そうと、敗れても敗れてもなお神・帝釈天に戦いを挑んだ阿修羅。その哀れともいえる姿にどうしても人間という存在が重なって見えて仕方がありません。

同時に「“女を妻にする”ということは、その女を最後まで守り抜くということだ」というイスラムの男の言葉を思い出してしまいました。



この阿修羅の表情を見ていると見飽きることがありません。ときにモナリザや聖母マリアよりも優しく、一途で、純真無垢な愛情に満ちた存在。その存在に一抹の怒りからくる憂いを帯びさせているのが、この独特の眉なんです。

人間がこの眉を捨てたなら、きっと楽園が立ち現れるに違いないのに・・・戦争の原点のひとつがここにあるような気がします。奪いたい相手には命も家族も財産も奪わせる・・・戦いを強い意志で放棄したとしても、この光景に耐え続けることのできる人はそうそういないでしょう。阿修羅も同じです。

阿修羅はアスラ(asura)。アス(生命)・ラ(与える)という語源で生命を与える存在という意味を持っています。これは太陽の存在ともどことなく重なるようですし、創造主という神の存在とも似通っています。

アスカもアステカもアラスカ(アルアスカ)もナスカ(ナ・アスカ)も・・・世界中に残る希望とか理想郷とかいうネーミングも“アス”が重要な構成要素になっていますね。

生命を与える者という意味のアスラのアスは日本語の“明日”にもつながる。明日は今日と異なり新たな命の始まりでもあり、朝日が昇る光。そんな生命と光に満ちた聖なる場所にアスという名称がつけられているのでしょう。一説に言う“ア(非)・スーラ(天)・(堕天)”などではないと信じています。

ですが、もしも堕天であるのならエデンを追放された人間、あるいは人類に英知をもたらした光の語源を持つルシフェルやミカエルそのものではありませんか。ともあれ、阿修羅はインドにアーリア人種が侵入するよりも、はるか前の大いなる愛に満ちた古い神だったと思っています。

古い神は、新たに侵略してきた新しい神によって悪の烙印を押されます。ルシフェルにしろベルゼブブや日本のアラハバキなんていう存在も、もともとは神だったのでしょう。支配されればそれまでの神聖な歴史は破棄、記録は焚書されて、徹底的に悪にされてしまうのは世の常。ですから“正義は勝つ”という言葉は好きではありません。

で、古い神を拝むのは悪魔崇拝ということでしょう・・・ちなみにかのラヴクラフトのクトゥルフ神話“クトゥルフ”というのは架空の神とされていますが、僕は彼が古代の神“九頭竜(クトゥルウ)”から持ってきたものだと感じています。

脱線です(笑)

大自然の中で静かに眠り、東の空が明るくなる頃起きだして、ゴソゴソとテントを這い出して眺める日の出は言葉にできないほどの強烈な生命力に溢れています。星の数ほどある正義の主張なんかより、地球上にたった一つの高貴な存在である太陽。そこに悲しみと怒りの眉を消し去った、美しい阿修羅がイメージできたらステキなのになぁ・・・なーんて思います。


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