十和田湖の風景(宇樽部キャンプ場)

ユウ_zetterlund

2007年04月28日 19:13



大人、とでもいえばいいのでしょうか。

ただ湖畔に小さなテントとちっぽけなテーブルを設えて、目的もなく、ただ漠然と瑠璃色の湖面を眺めているだけのひと時が、これほどまでに満ち足りているとは。忙(せわ)しなく何かに突き動かされるように多彩なアクティビティを提供するキャンプ施設が多い中、何もないということがこれほど幸せだったのかと気づかせてくれる大人のキャンプ場。それが十和田湖の宇樽部キャンプ場です。

周囲を深い森に覆われた二重カルデラ湖である十和田湖には興味深い伝説があります・・・
以前の記事で蛇について触れましたが、その伝説もまた蛇。
奥羽山脈に暮らしていた八郎太郎という大男は猟をして肉を食い、余った毛皮を売って生計としていた。あるとき仲間と毛皮を取りに深山へ狩りにでた太郎は、渓流に泳ぐ岩魚を見つけ、獲ると一人で焼いて食べた。その美味に夢中で仲間の分も食べてしまった。すると、どうしたことか・・・突然激しい喉の渇きが襲い、水桶の水を全て飲み干しても止まない。ついには川に口をつけ、川の水を飲み続ける。そして、ふと顔を上げて水面を見れば、映る己が蛇に変化(へんげ)しているではないか。太郎は、やがて狩から戻って来た仲間に、自分は魔性の者に変じてしまたため水から離れることはできないのだ、と語ると、最後に親を頼むと言い残し、十方より流れる川を堰き止めて十和田湖を作ると、そこの主になった。
・・・というもの。この話には続きがあって、十和田にやってきた熊野で修行した僧に追い出され、八郎潟の主になる、という結末。十和田とは、この物語によれば、十方の川を堰き止めてできたため十和田と呼ばれる、ということになります。そういえば山は“チ”と呼び、山脈は“オロチ”と古代では呼んでいたように、山と蛇とは深い関係があります。たとえば“ヤマタのオロチ”は、多くの尾根を持つ山脈と現代語に解釈することもできます。

うっそうとした深い森の中で、大蛇の伝説を持つ十和田湖は実に神秘的です。宇樽部キャンプ場に着いたら、まずチェアをひとつ出す。そこにゆっくりと腰かけて、目の前の湖面をじっと眺める。ときおり風がブナの枝葉をそよがせますが、その風はまた身体にしみ付いた日常の忙しなさまでも洗い流してくれます。


何かしなくては、などとあれこれアクティビティを探すのも忘れて深呼吸。次に小さなバーナーでお湯をわかしてコーヒーを淹れる。こうして時差に身体を慣らすように、十和田湖の時間に感覚を合わせます。このひとときが実に楽しいんです。そうして落ち着いたころ、テントを設営します。ですので十和田湖のようなキャンプ場に出かけるときには、できるだけ荷を軽くして、設営時間は極力少なくします。かかっても20分を目安にしています。

ひまだなぁ・・・という気持ち。これが日常の心の角質だと僕は思っているので、もっともっと暇にする(笑) 暇だからこそ見えてくるその場所の大切な何かがあるような気もするんですが・・・。

こうした、たゆたうような自然時間に生きた最後の時代が江戸時代なのかもしれません。不定時法といって、夏と冬とでは時間が変る。暗くなれば寝るし、明るくなれば起きる。普段の暮らしでは味わえない、こうした自然のリズムを味わうのも、けっこう楽しいです。ランタンも持っていきますが、夜暗くなれば煌々と人工の光で照らさずに、寝る。そして夜明けと共に起きる。起きたら、テントの薄い生地一枚を通して聞こえる周囲の音を楽しみます。


刻々と明ける夜明けを待って、そしてテントの入り口からパチリと一枚。それが、この写真です。

明日からキャンプを計画していて当分ブログは休止しますが、まだ行き先は決まっていません(^^; いつも当日の朝の気分で、目的地が決まります・・・放浪のようなキャンプです。では、また来週!
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