どこにでもある現代の”奥の細道”

ユウ_zetterlund

2007年10月01日 16:17



月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして、旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり・・・云々

で始まるのはかの芭蕉翁の著した“おくの細道”。奥州へと足を向けた元禄年間の紀行文です。

当時の奥州道は、気分的に、果てしなく遠くの国へと続く細い道という感覚だったのでしょう。今でも東北道に車を走らせて北東へと向かう道は旅心をかきたてて止みません。旅心の原点は未知なる世界への興味。そんな未知なる世界は、実は身近にも無数に存在します・・・
そのひとつが“廃道”といわれるもの。

かつては人々や物流が行きかったであろう道が、時代の流れとともに車が走るのに適した太くて平坦な新道へととって代わられたが故に、閉鎖され、地図から省かれてしまう。そしていつしか地元の人々の記憶からも静かに消えつつある、そんな道です。

僕は何を好き好んでか、そういう昔の記憶をたたえたまま深い眠りについている道に分け入ることが好きで、以前はオフロードバイクで・・・そして今はジムニーを相棒として薮に閉ざされた世界へとわくわくしながら入り込んでいます。

高度成長期に作られたトンネルとか山間部のバイパス周囲には、地図から消えたこんな廃道がごろごろしています。

入り口の多くは鉄柵で通行止めにされていますが、そういった通せんぼをしていない道もかなりあって、そんな場所が僕にとっての“おくの細道”です。未舗装の林道とはまた違った面白さがあります。


入り口は覆い被さるような木の枝や雑草で半ば埋もれかけていますが、そんな中をジムニーでわさわさと入り込みます。

中には倒木や、おびただしい落石でで通れなくなってしまっているケースも少なくありませんが、それでもそういった場所を斜面を利用して突破すると、自然に返りつつある道が姿をあらわしてくれます。


アスファルトを割ってそこいらじゅうに雑草が生い茂り、中には鹿が餌を食んでいたりする光景に出会うこともあります。

道の奥には動物や虫の巣と化した廃屋があったり、おびただしい蝶が緑に覆われたアスファルトの上を気持ち良さそうに飛び回っています。


自然の楽園に変貌を遂げたかつての道は、格好の林道カフェです。風に揺れる葉擦れの音だけを聞きながら、もう誰も通ることのない道にジムニーを停め、バイヤーのチェアを出しのんびりとコーヒーを飲んだり、ときにはミニタープの下、キャンプベットでまどろんだりもします。

廃道は、キャンプと同じくらいワクワクさせてくれる、身近な奥の細道です。

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