究極のリゾート

ユウ_zetterlund

2008年08月23日 10:43


=ClubNature仮想調査室№13=


手にした雑誌にこういう記事が掲載されていた。

「この贅沢な空間こそがリゾート・・・アルファトマム・・・」
「リゾートの究極は温泉。温泉といえば箱根。箱根は宮ノ下の富士屋ホテル・・・」
これを目にした次の瞬間、僕は乱暴に雑誌の頁を閉じて、ゴミ箱に放り込んでしまった。リゾートについて、僕は一握りの貧しいばかりの知見しか持ち合わせてはいないけれど、それでもこの記事を読んだ瞬間、どうにも浅はか極まりない記事内容にムカムカしてしまったのだ。

僕らは普段なにげなく“リゾート”っていう言葉を使っているけれど、そもそもリゾートって何なのだろう。

避暑・避寒・保養のための土地(大辞林)
避暑・避寒・行楽などのための土地。保養地(大辞泉)


しかし英文でresortとは、上記同様の意味を持つ以外に、他力本願、助けを求めたり、何度も帰る場所・足しげく通うなどの意味を表す場合にも使われる。

つまり、何か外部からの助力を求めて足しげく通う、という本来の機能なり意味が隠されているのではないのか・・・と、ここまで考えたとき、はっと思った。避暑にしろ避寒にしろ、それは暑さ寒さから逃れるために助けを求める行為なのではないのか、と思ったからだった。さらには、避暑避寒など快適に過ごさせてくれる場所に繰り返し足しげく通う・・・つまり、こういうことが、やがて避暑避寒保養のための土地をリゾートと呼ぶようになったのではないのか、と直感したからだった。
しかし、先の雑誌の記事にあったように“究極”のリゾートの定義となると、これだけでは決定的に選択基準が不足する。そこで、以上の考察を元にリゾート機能を定義してみることにした。

<リゾート機能の定義>
リゾートの機能1:リゾートとは人間の心身をリフレッシュし、蘇生させる機能を有する。
リゾートの機能2:リゾートとは人間の満たされない心の渇きを癒し、幸せにしてくれる機能を有する。
人間の生存に不可欠なものである、ということを前提にさらに考えると、人間の身体の飢えを癒すのが田畑であるなら、心を癒すのがリゾートである、と言い換えることもできそうだ。これらをもとにリゾート全体の定義を明確にすると・・・

<リゾートとは>
リゾートとは、人が心の飢えを癒し、何度も帰る場所。人はそこで蘇生し、幸せになって戻ってくる。
となるのではないだろうか。

つまり、リゾートとはゴルフ場やスキー場やホテルといったレジャー施設ではない、ということ。上記の要素を満たさなければ、いくら立派なレジャー施設があっても、それはリゾートではなく、レジャー施設に過ぎないことになる。

言い換えれば、リゾートとは人を蘇らせ、幸せにすることができるソフトであって、レジャー施設というハードではない、ということ。ソフトとは考え方であり魂であり物語であり、ハードとはモノであり施設。

ほんとうに大切なものは目に見えないんだ」と星の王子様が言い、テグジュペリを信奉するジミー・ディーンがぼそりと呟いたけれど、まさにそのとおりだと思う。

リゾートとは、生まれ変わる(蘇生)するために何度も帰る場所・・・これから連想できるのは“あの世”だ。あの世がリゾートであるのなら、リゾートの別名はパラダイス(天国)か。天国は清き水と緑、動植物たちで満ち溢れ、悲しみや心配は無く、飢えもない。それはまさにエデンの園。人類はここを追い出されて以来、パラダイスを求めて下界で苦悩しているのだろうか。

では、この世のリゾートはなんだろう。その原型をたどってみると庭園に行き着く。紀元前のギリシャの哲人らは哲学や天国の真理を形にするために庭園を造った。庭園には、宇宙の法則がこめられている。そういえば日本でも小堀遠州などは庭園に宇宙を写し取っていた。龍安寺の心字池は、心の字を模(かたど)ったとされているが、事実は宇宙の秘奥をここに封印し、天への入口を秘かに地上に創りだしたのだ。

心字池の“心”は天の川の“竜”の頭部分の形象だと僕は断定する。天の川の各部位(溥儀など)が神話とともに書に描かれ字(ツンギ文字など)となった。その天の川は、上下に二つの頭を持つ竜として秘儀参入者らは捉えている。

話が脱線してしまったけれど、リゾートのひとつの形態は“ガーデン(庭、庭園)”ということになる。桃源郷もエデンの園もガーデンという要素を含んでいる。ガーデナー(庭師)とは、本来は哲学を持ち、宇宙の真理・法則と秘儀を知り、人に救いの物語を提供する聖なる職業だった。庭園デザインの根本には宇宙の法則があり、宗教があり、人を癒し幸せにする哲学がある。

庭には、水があり、緑が生い茂り、花が咲き乱れる・・・ということは、自然(ネイチャー)こそが究極のリゾートということになるのではないのか。なんてことを考えつつ、ClubNature(クラブネイチャー)もリゾートに近づけたらいいなぁ、なんて思ってしまいました(^^;;

さらに突っ込んで“究極のリゾート”というものを考えると、日本の神社仏閣という存在に行き当たる。その昔、どこの村にも鎮守の森というものがあったという。うっそうと茂った木立の中に、掃き清められた参道があり、手水の清水が涼やかな水音を響かせる・・・

人は、ここで何かを願い、感謝し、時には神々と一緒に飲み食いし、禊を行い、清められて蘇る。これこそ幸せの原型ではないだろうか。そして、はっと思った。もしかしたら、日本最初のリゾートを作り出したのは・・・弘法大師(空海)だったのではないだろうか。

四国の山岳地に88箇所の霊場を開拓し、その巡礼をシステム化した弘法大師。人は仮の死を体験し、そして新たな生として蘇る・・・という究極の見立てが働く究極のリゾート“四国八十八ヶ所巡礼”。近年のリゾートは数年、数十年というものが多いけれど、四国八十八ヶ所巡礼地は千年以上経た今でもなお、多くの人を魅了し続けている。かくいう僕もチャンスがあれば、お遍路したい。

江戸時代にお伊勢参りなどで流行した伊勢神宮、熊野詣での熊野、富士講の富士山・・・リゾートには気持ちのいい場所というハード(環境)に加えて、幸せになれるソフト(物語)が必要だ。

<ClubNatureの結論>
究極のリゾートとは温泉などではなく、魂を安らかにさせてくれる救いの物語(見立て)であり、豊かな自然であり、それが形になった場所が「四国八十八ヶ所巡礼地」である。
そういえば山には菩薩や如来、仏の名が付いているものが多い。もしかしたら縦走も一種の巡礼になり得るのだろうか・・・こんなことを思っていると登山者が巡礼者に見えてしまいそうだ(^^;; リゾートとは救いの物語に満ちた劇場空間である。


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