山梨一ノ瀬キャンプ場の管狐(くだぎつね)を知る見聞キャンプ

ユウ_zetterlund

2007年08月23日 15:08



= 怪談CLUB 其の七 =


江戸の銭湯の脱衣場には、多くの場合“稲荷”が祀られています。稲荷といえば、誰もが思い浮かべるのが“”でしょう。真っ赤な鳥居がトンネルのように連なる光景を夕闇に見ると、赤い鳥居の連なる先に異界がぽっかりと口をあけていそうな気になります。

このお稲荷さんは朝廷とは無縁で、古来よりの民間信仰で広まったもの。江戸を歩けば・・・いや、日本を歩けば、企業の屋上はじめ、もうそこいらじゅうにお稲荷さんを見ることができるほど・・・
お稲荷さんの本家といえば、京都伏見稲荷(秦氏創建)。全国の稲荷の総本社です。

ここから魂分けする際に、竹の筒に稲荷の霊を入れて持ち運ぶのですが、これは管狐とそっくりです。管狐は“くだ”とも云われ、人に憑く。憑物筋の一族が使役するのがコレです。

代表的な憑物筋には、犬神猿神蛇神などがあり、これは以前の西湖自由キャンプ場の記事で書いた記憶があります。(ヌエ)を退治際に、その頭が猿神、手足が犬神、尻尾が蛇神になったというもの。管狐は、この三大憑物筋とは縁を異にしています。

管狐とは竹の中に入れるほど小さい狐です。なんでも、これに憑かれると油揚げが欲しくなるのだとか。そして目つきが変わり狐のような異様な動作を始めると云います。

これは山梨の一ノ瀬でキャンプした際に、地元の人に聞いた話です。

昔、丹波山から一ノ瀬に管狐を持ち込んだ修験者があって、そのために村人が何人も命を落としたのだと。武田の隠し金山があった一ノ瀬付近は、かの“おいらん淵”でも有名です。近年になっても金(埋蔵金など)に魅せられた者たちが、ここに入り込もうとしていたような話を知るともできます。確かに登山者が大菩薩のどこかの洞窟で武田の金を発見して持ち帰った、というような話も耳にします。

事の真偽は不明ですが、管狐はそのような話が残るほど恐れられ、忌み嫌われていた、ということでしょう。人々に拝まれるお稲荷さんと忌み嫌われる管狐。方や多くの人に豊穣をもたらし、方や憑物筋の血筋に使役されその一族のために働く・・・同じ狐でも、ずいぶんと違うものです。

神を信仰する際に古来重要だったのは“いますがごとく”振舞う、ということ。神というものは元来見えないもの。隠れたる存在だったんですね。これを古代文字に探ってゆくとけっこう面白かったりします。

(さい)”という口に似た古代文字がありますが、これは祝詞の器。この中に神が降りる一種の呪具です。路、古、問・・とか、これらの“口”は“くち”ではなく、“さい”が口になってしまったというわけです。で、神が降りる記号は“夂”と書かれます。ですので呪具である口(さい)に神が降りるのが“各”で、いと高き鋒に降りるのを“夆”と表します。

これは独断ですが、路とは神に守られた経路のことなのではないのか。同じ読みの“道”は、これは首を携えて進むことを表現しています。この空間に満ちる邪霊を祓うために、死人の首を手に、その邪視によって祓いつつ未知なる世界へと路をつける行為。道ができた際に、その経路は路へとなるのではないのかな、と漠然と思ったのですが・・・

こうして広がった自分たちの領域を守るのが門。門は、結界です。この門に“口(さい)”を収めたのが問。訪問とは、もともとが、神霊に訪うということですから、驚きです。

神を尋ねる儀式があります。そのとき右手に神に降りていただく“口(さい)”を、左手に神を呼ぶ“工”を持ちます。それが、そのまま左右という文字に表現されてもいます。そして降ろした神の姿が見えるのか、といえば、まったく見えないし見ることもできない。

ただ、そこに居ますが如く振舞います。

余談が長くなりましたが、稲荷の魂分は竹筒によって行われます。竹の筒が“口(さい)”というわけです。神霊を発動させて願望を成就させるということが古来より行われていますが、こうした筒に入れた稲荷神を祈祷師が活用したことも多かったのだろうと推測できます。

稲荷は呪術に使役されるようになり、管狐という別の一面が備わる。さらに“おこじょ”の存在です。手の平に乗るほどの小さな狐ににた動物がオコジョですが、丹波山には数多く生息しています。これも推測なのですが、丹波山から管と称してこのオコジョを持ち込んだ修験者がかつて山梨にはいたのではなかったか・・・



呪いとは、当人に呪われたという事実を知らしめることで、効果があります。呪われたと思った当人は、本当に具合が悪くなり、場合によっては命を落とすことさえあります。これはアフリカでの話ですが、呪われたと思い込んだ者はだんだんと衰弱し死んでしまうといいます。

そういえば病は気から、などといいますし。気のもちようで胃に穴をあけることもできます(胃潰瘍)。自分は病気だ、と思い込むと、本当に毎日が暗く憂鬱で・・・悪くない身体も本当に悪くなってしまいますから。ですので、竹筒を持った祈祷僧に睨まれただけでも、それこそ心底恐ろしかったに違いありません。

山梨の丹波山村や一ノ瀬には焚火ファンに愛される一ノ瀬キャンプ場など素晴らしいキャンプ場がいくつもあるばかりか、こうした古のこの国に脈々と流れ息づく様々なものに出会える絶好の場所でもあります。

伝承はその土地のDNAであり記憶です。様々な伝承や昔話をキャンプのアクティビティのひとつと考え見聞すれば、単なる行きずりキャンプとは違った奥深い経験が楽しめます。

その土地をまるごと味わい尽くす、見聞キャンプ・・・けっこうハマリます♪

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