2007年04月16日
カヌーキャンプと湖底に沈んだ江戸の宿場町
会津にはとても美しいキャンプ場がたくさんあります。
林間はもちろんのこと桧原湖、五色沼、小野川湖・・・それぞれ違った個性を持っていて、それは同じキャンプ場であってさえ、季節ごとに刻々と移ろう素敵な景観を現します。中でもこの場所ならではのキャンプが堪能できるのが磐梯山周囲の湖です・・・
まるで北欧のフィヨルドのような繊細で優雅な造形と景観が楽しめます。ひときわ大きい桧原湖でさえ、単に大きいというのではなく、複雑に入り組んだ入り江で構成され、ひだのような入り江をカヌーやカヤックで探索するという楽しみがあります。
付近には地図に温泉記号が描かれるばかりの、ちいさなちいさな温泉民宿がポツンとあり、まるで家庭の風呂のような小さな湯船に源泉がなみなみと溢れかえっていたりします。多くのキャンパーはこれに気付かずに行き交っているばかり。こんなに気持ちのいい源泉に入らないのは、ほんとうにもったいないです。
湖畔のサイトの楽しさは、刻々と明ける夜明けの景観に、刻々と暮れなずむ薄暮の静けさを独り占めできること。日中はコットに寝そべって過ごしたり、チェアで読書に耽ったり・・・まるで眼前の湖が自分の庭のように思えてくる贅沢さ。
僕の場合、周囲のキャンプ場を
下見する以外、四日間の間、まったく車を使用しませんでした。朝起きて、毎日違ったメニューを作り、静かな湖面を眺めつつゆっくりと朝食。
靴をトレイルランニングシューズに履き替えて、付近の森や林道、山道を散歩して・・・どこか気持ちの良い場所でランチ。午後早いうちにサイトに帰れば、さっそく夕食の支度です。レッドキャベツのオーブン蒸しビネガー味とか、マリネ野菜のグリル、ビシー風ニンジン、野菜のティアン・・・などなど自宅ではあまり作らないちょっと手の込んだ料理を時間をかけて仕込んだり。これがまた楽しい。
メニューの基本はダッジオーブンを使うことと、野菜中心ということ。キャンプメニューの参考にしているのが“LE CORDON BLEU(ル・コルドンブルー)”のHOME COLLECTIONという料理レシピ。キャンプ料理ではありませんが、キャンプで作れば家族に大人気です。
今はなみなみと青い湖水をたたえる桧原湖ですが、ここの湖底には、大きな宿場(村)がまるごと沈んでいます。宿場の名は檜原宿。江戸時代に主な宿駅として整備され、検断も配置された大きな集落です。地区の資料館では、湖底の宿場を俯瞰で見ることのできる模型もありますので、こういった歴史を散策しつつキャンプをする、というのもなかなか楽しいものです。
この檜原宿周辺は、かつて木地師が住んでいたようで、これなども付近の金山などという地名と相まって、金の採掘のニオイガプンプン。おまけに檜原地区を開いたのは穴沢俊家。領主であった葦名氏の命により1486年に穴沢家がこの地に遣わされ開いたのがはじまり、ということになっています。主家芦名氏からの命は二つ。ひとつは盗賊退治。もうひとつは伊達勢の侵攻への備え。
しかし、これ以外に金山に関する密命もあったのではないでしょうか。穴という名が示す通り、鉱山民のにおいがします。これは武田の元で金採掘に関わっていた金山衆、穴山梅雪とどこか似ている。江戸時代は宿場が整備され、会津の重要な拠点に。それは明治時代にも引きつがれましたが、明治21年・・・磐梯山噴火により、湖底に沈んでしまいました。キャンプ場からほど近い、北の湖底に今もそのまま沈んでいます。

カヤックで湖面を散策しつつ、真下の宿場に思いを馳せるのも素敵です。
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付近には地図に温泉記号が描かれるばかりの、ちいさなちいさな温泉民宿がポツンとあり、まるで家庭の風呂のような小さな湯船に源泉がなみなみと溢れかえっていたりします。多くのキャンパーはこれに気付かずに行き交っているばかり。こんなに気持ちのいい源泉に入らないのは、ほんとうにもったいないです。
僕の場合、周囲のキャンプ場を
靴をトレイルランニングシューズに履き替えて、付近の森や林道、山道を散歩して・・・どこか気持ちの良い場所でランチ。午後早いうちにサイトに帰れば、さっそく夕食の支度です。レッドキャベツのオーブン蒸しビネガー味とか、マリネ野菜のグリル、ビシー風ニンジン、野菜のティアン・・・などなど自宅ではあまり作らないちょっと手の込んだ料理を時間をかけて仕込んだり。これがまた楽しい。
今はなみなみと青い湖水をたたえる桧原湖ですが、ここの湖底には、大きな宿場(村)がまるごと沈んでいます。宿場の名は檜原宿。江戸時代に主な宿駅として整備され、検断も配置された大きな集落です。地区の資料館では、湖底の宿場を俯瞰で見ることのできる模型もありますので、こういった歴史を散策しつつキャンプをする、というのもなかなか楽しいものです。
この檜原宿周辺は、かつて木地師が住んでいたようで、これなども付近の金山などという地名と相まって、金の採掘のニオイガプンプン。おまけに檜原地区を開いたのは穴沢俊家。領主であった葦名氏の命により1486年に穴沢家がこの地に遣わされ開いたのがはじまり、ということになっています。主家芦名氏からの命は二つ。ひとつは盗賊退治。もうひとつは伊達勢の侵攻への備え。
しかし、これ以外に金山に関する密命もあったのではないでしょうか。穴という名が示す通り、鉱山民のにおいがします。これは武田の元で金採掘に関わっていた金山衆、穴山梅雪とどこか似ている。江戸時代は宿場が整備され、会津の重要な拠点に。それは明治時代にも引きつがれましたが、明治21年・・・磐梯山噴火により、湖底に沈んでしまいました。キャンプ場からほど近い、北の湖底に今もそのまま沈んでいます。
カヤックで湖面を散策しつつ、真下の宿場に思いを馳せるのも素敵です。
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Posted by ユウ_zetterlund at 19:52│Comments(4)
│【特選アウトドア情報】
この記事へのコメント
Hi! h r u?
私はキャンパルネットに探してここに来ました。私はGWの機会に東京からバックパッキングを計画しています。私はこの湖のマップを希望します。
私はキャンパルネットに探してここに来ました。私はGWの機会に東京からバックパッキングを計画しています。私はこの湖のマップを希望します。
Posted by キーズ at 2007年04月17日 12:20
これが一番下の記事のキャンプ場なのですね!私もブログを始めようと思ってます。できたら連絡します(=;
Posted by fumi at 2007年04月18日 12:47
キーズさん>これは桧原湖の松原キャンプ場です。URLは、http://www13.plala.or.jp/hibarako/index.html です。他にも素敵なキャンプ場がいろいろありますので、googleで探してみてください。ではでは!
Posted by ユウ at 2007年04月18日 21:53
fumiさん>一番下の画像はキャンプ場ではなくて、キャンプ場からカヤックで30分ほど沖合いの無人の対岸です。誰一人いない岸辺はとっても静かでおだやかです。
Posted by ユウ at 2007年04月18日 21:55
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