2014年12月06日
おでん、熱燗、キャンプの焚き火
冬の道志の森キャンプ場にて
特に木枯らし吹く冬。夕方、コートの襟を立てて、背中をまるめて足早に雑踏を歩く人たちを見ていると、おでんと熱燗が恋しくてたまらなくなってしまう。
月が煌々と輝き、北風が冷たい夜。ひとり心寂しさを持て余すような時、街の人工的なLEDの冷たい光の中に、場末の赤ちょうちんがなんと暖かく見えることか。
電球の光は、聞くところによると、高から低までとても広い波長をまんべんなく持っているのだという。それがあの暖かさにつながっているのだろう。それは、デジタルに較べて、はるかに豊かな音を楽しませてくれるレコードの柔らかな音に通じる。
アナログはデジタルに較べて、膨大な連続した情報を持っている。かつて「アナログチック」という言葉が、何かを馬鹿にするときに使われていた。しかし今、アナログこそが最先端なんじゃないのか、と思えてくる。いや、そうに違いない。
“出来たようだと心で察し、尻に手をやる、燗徳利”
これなんだな。赤ちょうちんに吸い込まれ、カウンターの端に座る色っぽい姉さんと一瞬でも視線を交わせたなら、もうそれだけでむせび泣けるってもんだ・・・
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2010年10月25日
後悔よもやま話
ふとした空白の瞬間に、気づけば後悔ばかりしている。
欝になる、っていうほどのものではないようだけれど、気分が落ち込み、自分がダメ人間以外の何ものでもないように思えてしまうのだから悲惨なものだ。しかし、こんなどうしようもない気持ちからレスキューしてくれるCMがある。大広の九州支社が社内制作スタッフだけで作った「大分むぎ焼酎・二階堂」のCMだ。
近道は、遠回り
急ぐほどに、足をとられる
始まりと終わりを
直線で結べない道が、
この世にはあります
(一生に何回 後悔できるだろう。)
迷った道が
私の道です
“一生に何回 後悔できるだろう。”に続けて“迷った道が 私の道です”と続くフレーズに、はっとさせられ心が軽くなった。以来このCMが流れるたびに、じっと食い入って見てしまう自分が居た。このCMの“後悔” とは行動した結果としての後悔なのではないのか。そういえば若かりし頃のこんな話がある。
「1度きりの人生、後悔しないように生きたいすよね」
昔、仕事仲間のSが新宿の「どん底」というバーでビールをちびちびと飲みながら言った。
「でも・・・やってもやらなくても、後悔ってするんすよね」
Sはそう言って顔をくしゃっとさせた。目が小さい彼の顔は、笑っているのか泣いているのかわからなくなる。したたかに酔っていた彼はそのままうなだれて首を振った。なるほど、泣き笑いだった
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欝になる、っていうほどのものではないようだけれど、気分が落ち込み、自分がダメ人間以外の何ものでもないように思えてしまうのだから悲惨なものだ。しかし、こんなどうしようもない気持ちからレスキューしてくれるCMがある。大広の九州支社が社内制作スタッフだけで作った「大分むぎ焼酎・二階堂」のCMだ。
近道は、遠回り
急ぐほどに、足をとられる
始まりと終わりを
直線で結べない道が、
この世にはあります
(一生に何回 後悔できるだろう。)
迷った道が
私の道です
“一生に何回 後悔できるだろう。”に続けて“迷った道が 私の道です”と続くフレーズに、はっとさせられ心が軽くなった。以来このCMが流れるたびに、じっと食い入って見てしまう自分が居た。このCMの“後悔” とは行動した結果としての後悔なのではないのか。そういえば若かりし頃のこんな話がある。
「1度きりの人生、後悔しないように生きたいすよね」
昔、仕事仲間のSが新宿の「どん底」というバーでビールをちびちびと飲みながら言った。
「でも・・・やってもやらなくても、後悔ってするんすよね」
Sはそう言って顔をくしゃっとさせた。目が小さい彼の顔は、笑っているのか泣いているのかわからなくなる。したたかに酔っていた彼はそのままうなだれて首を振った。なるほど、泣き笑いだった
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2009年12月11日
寂しい景色

なんたる寂しさ。
最初にこの茫漠とした九十九里の砂浜に立ったときの素直な気持ちだ。波音と風音ばかりが延々と続く見渡す限りに広い砂浜に充ち満ちて、ひとけ無し。人類が絶えた後を思い描くのに、これほど最適な場所もないだろう。
砂浜に座り、遠く太平洋の彼方を見ていると無我になれる。しかし、ここで人生を回顧するよりも、打ち寄せる波に触れながら、同じ海に触れている海の彼方の大陸やあるいは諸島に思いを馳せることが多くなってしまった。
ちょうど今、デンマークでは各国の環境大臣が集う締約国会議(Conference of Parties)「COP15」の真っ最中。地球温暖化による海水面上昇で水没の危機に直面する太平洋の小さな島々が切実な気持ちを訴えている。
ボクなどが「環境を」なんて言ったとしても、それはポーズに過ぎないと感じている。もちろん次世代のために、という思いもあるけれど、やはり年々上昇する海水面に居住区を追われ、やがて住み慣れた島を捨てねばならないと予感したときの気持ちは想像できたとしても、まだまだ生ぬるいだろう。
そういえば実際にダムに沈む村で撮影された「村の写真集」というとても素敵な物語の映画があった。藤竜也、宮地真緒、甲元雅裕、吹石一恵、原田知世、桜むつこなどの渋い俳優陣がキャストをかため、グッと心を鷲づかみされるような感動の物語に仕上がっている・・・
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2009年11月25日
アンナプルナ・グラス

これは、たぶん30年以上も前のシュイナード・イクイップメント社のギアカタログ。
おや?と思われた方、なかなかの事情通。シュイナード・イクイップメントはパタゴニア創始者のイヴォン・シュイナードが最初に立ち上げたガレージメーカーで、事故による補償問題で廃業に追い込まれた同社を従業員たちが引き継いで立ち上げたのがブラックダイヤモンド。いっぽうでシュイナード・イクイップメントのアパレル部門が独立したのがパタゴニア。
ということで、シュイナード・イクイップメントはブラックダイヤモンドとパタゴニアの原点というわけです。
同社の古いカタログを眺めていると、まさに「光陰矢のごとし」が実感できてしまう。30年ほど前に穴の開くほど眺めまわし、お小遣いを貯金して手に入れたギアの数々が並び、それらを駆使したテクニックまで載っている。ピッケルの制動テクニックも、今となっては使われないものもあって、さすがに時代を感じさせてくれる。
この中にアンナプルナグラス(上右写真)、なんていうサングラスがある。これは当時としてはなかなか最先端のサングラスで、もちろん自分も雪山でこのサングラスを自慢げに使っていた。今見ると、なんだかパーティーグッズの変装グラスに似ていなくもない。しかし、これは現在も山道具屋で手に入ると思う。
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2009年10月08日
旅と香水
知人に香水の調合師がいる。先日、彼女にオリジナルの香水をブレンドしてもらったときのこと。すぐに使おうとした際に「使うのは、もうしばらくしてから・・・熟成させないと」と言われた。なるほど、熟成か・・・そう考えたときに”旅も香水も同じだ”とひらめいた。
旅、とひとくちに言うけれど、そのままでは単なる記号だ。
この旅という記号がどういう情景や心情や行為に置き換わるかは受け手によっていろいろで、有名観光地のドライブだったり、かつての「ふるむーんキャンペーン」にあったように、熟年夫婦の水入らずの旅を思い浮かべる人がいたり。あるいは、時間を贅沢に投入し二本の足で”奥の細道”よろしく行脚するシーンを思い浮かべる人だって居るに違いない。
自分が想起するのは、やはりマンパワーでの移動。そのひとつが山旅。
このブログに、とても気持ちいい、というような山旅の記事をいくつかアップしているけれど、実際に何日も山をガサゴソと歩き回っている当時を振り返ると、歩き回っている最中は“気持ちいいなぁ”とか“素晴らしいなぁ”とか、そんなことはいっさい思わず、連日の岩ゴロゴロのテン場暮らしに、身体が痛いなあとか、頭が痒いなぁ、とかそんなことばかり言いながら舌打ちしていたように思う。
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2009年08月10日
聖なる山の清き場所
クリックで拡大(コロボックルヒュッテのカフェ)
俗化されていない場所にカムイがいる。
精神的なものとして考え始めると、もうボクなどの頭では面倒くさくなるので、たとえばシンプルに距離感とか困難さとかにするとわかりやすくていい。
たとえば高山や深山幽谷の奥とか、洞穴とか、ニライカナイのように水平線の彼方とか、天の高みに刻々と運行する星辰とか、太陽とか、月とか・・・
そういった場所は気軽に人がアプローチすることができない。人が到達しにくいから日常ではない。そんな非日常こそカムイの住まいがふさわしいのだろう。
ネイティブニッポンの人々の間に語り継がれてきた存在がある。それはコロポックルという小人。ヤマトビトの言葉ではない。ヤマトタケルらに追い立てられ、攻め立てられた人々の間の言葉だろう。コロポックル、カムイ、トッケ(峠)などなど、多くの言葉が山にまつわる地名に残されている。
トッケに当てられた文字は峠。この“峠”は日本人が作り出したおびただしい文字のひとつだ。
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2009年06月26日
老人と海
九十九里浜に通じる松林の小道にて
” 結局のところ、彼もサンチャゴなんだ・・・”
老人の小さな背中を見ながら、ボクはそう思った。
派手なキシミ音をさせながら現れた年代物の車から降りたのは一人の小柄な老人だった。車はおそらくエアコンなどというものは備えていないのだろう。風を入れる三角窓が目立つ、古いけれどずいぶん大切に乗られているのがひとめでわかるフランス車。小豆色のボディにクリーム色がアクセントになっている趣味のいいカラーリングだ。
その老人も、着古し身体に馴染んだブルーグレーのシャツに、これまた柔らかく着古されたカーキ色のパンツを身につけている。まるでつい今しがたまで乗っていた年代物のフランス車のようだ。悪くない。
老人はクーラーボックスと釣竿を誇りっぽい地面に無造作に置いて、てきぱきと釣りの準備をしている。その無骨な皺が刻まれる陽に焼けた顔に、媚(こび)とか愛想笑いとか、そういった一切とは縁のなかったような目があった。
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2009年05月29日
にごり湯の少女 万座温泉・豊国館
記事中画像はクリックで拡大
まるで画像加工したかのような、不自然にさえ見えるこの写真。
これは白根山の湯釜の遠望。残雪残る水墨画の世界に、エメラルドグリーンだけが生きているかのような、奇妙さ。地下深くに大地の血を巡らせ、盛んに活動している火山の表象だ。
湯釜までのトレイルは、浅間山噴火の影響による硫化水素ガス増加のためか立ち入り禁止になっているので展望台へ。そこから湯釜を見ていると、ここを最初に見たあの懐かしい日がぱっと蘇った。
白根山は、ボクがまだ小学校低学年だった頃に最初に連れてきてもらった山だ。当時の記憶は断片的で、どうしても親が背負っているジャンスポーツかケルティのフレームザックを背負いたくて無理やり背にして登った光景や、下山してどこかの森の中で固形燃料で調理する光景。そしてもっとも鮮明なのが、宿のにごり湯の露天風呂で泳いではしゃぎ、その後、同じ宿に宿泊していた同じ年頃の女の子と仲良くなり、部屋に招待されてトランプで遊んだこと。
この、温泉宿の露天風呂の気持ちよさと女の子と遊んだシーンを思うと、なんだか甘ずっぱいような、ちょっとだけ胸がキュンとなる。子供ながらに恋心のようなものが芽生えていたのかもしれない。
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2009年05月20日
憧れのゼロポイント
自分自身にたいして、モンベルそれもゼロポイントというブランドに、憧憬にも似た一種の憧れを持っているなぁ・・・と感じることがたまにある。
それはガレで埋まった奥深い谷あるいは渓谷、山道で、ぺちゃくちゃと茶飲み話に花咲かせることなく、まるで修行僧のようにただ前方の一点だけを見つめ、一様に無言で軽やかに歩を進めるクライマーの一団とすれ違う場面などでのこと。
彼らの背にする色あせてヨレヨレのアタックザックには、これまた自分の名前をマジックで大書きしたガムテープを貼った、実に良く使い込まれたヘルメットやザイルが見えていたりする。場合によっては腰にハーネスが装着されたまま、そこにセットされたカラビナなどの登攀用具ががちゃがちゃと乾いた音をたてている。
この音色を聞くと“山に来たんだなぁ”というなんともいえぬ実感と歓びが、どきどきするような緊張を伴ってこみ上げてくる。そしてそんな彼らの背には“Zero Point”という文字が誇らしげに輝いていたもの。
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2009年04月25日
GWに独占できる穴場キャンプ場の藁の家
こんにちは。世間のGW気分を横目に、今日も仕事しているユウです。GWというほどのものはありませんが、3日ほどOFF日がとれそうなので、尾瀬スキー&春の里山散策を予定しています。
さて、最近興味を持った建築様式がストローベイルハウスというもの。圧縮した藁のブロックを積み重ね、そこに漆喰を二度塗りして仕上げた、地球にやさしい「わらの家」です。
それが上の写真。
法隆寺はじめ優れた木の建造物は日本に多いし、紙と木の家は素晴らしい。三匹の子豚の話は西欧至上主義を刷り込むために利用されたとも疑いたくなってしまいます。もちろん藁の家“ストローベイルハウス”だって、断熱性に優れるばかりか、強く軽い理想の家です。
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2009年03月05日
アウトドアで遭遇した、記憶に残る不思議な人々
パソコンの画像データを整理しているときのこと。上高地の画像をぱっと目にした瞬間に、そのとき出合った不思議な男性の声を思い出してしまった。さて・・・よくよく思い返せば、30年も登山をしていると記憶の引き出しの奥深くには、実に奇妙で不思議な人たちのファイルがごっそりと貯めこまれている、ということに改めて気づいた。
いままでこのブログで「寒冷前線通過時に出会った、お隣のビバークな人」など、その何人かを記事にしたけれど、まだまだ山ほどある。以下は、そのごく一部。
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2009年02月05日
夢と消えてしまったSoulBar George’s

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古書店で偶然手にしたEsquireで北穂小屋との会合を果たし、その後パラパラとページを繰って裏表紙を閉じた。そのとき「あれ・・・」と思った。自分でも、いったい何に対して、そんな気持ちが弾け出たのかもわからず、急き立てられるようにもういちど、ページを繰った。
何か、とても大切なものがこの中に隠れているような、見逃してはならないと自分の中の何かがそう言っているような、ほんとうに不思議な気持ちだった。ボクは、二度三度と何かを探してページをパラパラと爪弾き続け、そして、ついに見つけた。
それは、永遠のエキゾチックなオーラをまとって、じっとこちらを見つめるひとりの女性だった。最初の数分間、この黒ヒョウのような女性がいったい誰なのかはっきりしなかった。しかし、彼女がとても大切な人だということだけは直感できた。
そしてコラムに目を走らせ何行が読むうちにはっきりとわかった。ジョージの信子ママだ!と、全てが繋がった。ジョージとは乃木坂寄りの旧防衛庁の敷地にぴたりと寄り添うようにしてあった、席数が10ほどの小さなカウンターバー。
広告業界に足を踏み入れたばかりの22歳のボクをここに連れてきてくれたのは、R&Bに傾倒していたアートディレクターのSさん。彼は、かつては米兵で溢れ返っていたんだと、定席であった入口隅のカウンターでビールの小瓶をラッパ飲みしながら教えてくれた。オーダーはキャッシュ。カウンターに貨幣を置いてからビールをオーダーする。出てくるのはビール瓶だけ。コップなど無い。それをラッパ飲みしながら、ジュークボックスから流れるR&Bに身を委ねる。
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2008年12月30日
初めて買った懐かしいサレワのアイゼン 10本爪
当時はなぜかサレワが好きで、馬鹿の一つ覚えのようにして水道橋まで“サレワのアイゼン”だけを目的に電車に揺られたことを昨日のように思い出す。そして迷うことも無くこれを手に入れて、御茶ノ水まで歩き、キッチンカロリーという洋食屋でハンバーグを食べ、隣の穂高という喫茶店でココアをたのんだ。
店の右奥の隅の席でココアを飲みながら、買ったばかりのサレワの10本爪のアイゼンを箱から出して眺めていると、「きみ、冬山行くのかい」と、ふたつ向こうの席から若い男性の二人連れがにこにこと笑っている・・・
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2008年10月22日
山旅キャンプ-2 黒部源流へバックパッキング

※写真は黒部源流部の清冽な沢水
雲ノ平から見て、東の野口五郎岳は僕の大好きな山。そして南西にあるのが黒部五郎。
この五郎というのは、おそらく雷のことでしょう。夏場だとほんとうにあっという間に雲が湧きだし、ゴロゴロ・・・となります。こうした雨の多さも、豊かで美しい自然環境に一役買っているのでしょう。
薬師沢の小屋は黒部の深い渓谷を見下ろす岩の上に立てられた、ちっぽけな古びた山小屋で、登山黎明期まで秘境中の秘境とされてきた場所。
現在の上高地の代表的な山小屋の先代あるいは先々代が山の民としてこのあたりを跋扈していた時代に、数々の不思議・怪異が記録されています。
さて、それでは黒部の源流への旅を始めるとしましょう・・・
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2008年10月21日
雲ノ平 北ア・バックパッキングと沢旅の風景

数日間ふらふら放浪を楽しんで、龍王岳から五色ヶ原を経由して薬師岳までの気持ちのいい稜線散歩を楽しみ、そののち薬師小屋から沢に入り、黒部川を源流まで辿りながら、赤木沢のこの世のものとは思えぬ美しい風景に身を泳がせ、そうして沢を遊びながら途中で一泊ビバーク。
翌日、水がぽたりぽたりと滴る源流まで登りきり、祖父岳を越えて到達した先が雲ノ平のテント場です・・・
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2008年09月12日
トムソーヤの世界
どんなテントだっていい。
どんな装備だってかまわない。
ちっぽけで頼りないテントを、目をきらきら輝かせながら設営して、どこのものとも知れない小さなパイプイスに腰掛ける。そこから見えた景色は生涯の宝物になる。
時代遅れのマナスルで沸かした湯を少年時代から愛用している古びたシェラカップに入れ、そこに安物のインスタントコーヒーとハチミツを溶いたコーヒーの、その夢のような味。
薄暮を過ぎ、周囲の豪華で明るいキャンプサイトの影に沈んだような場所の木の横で、キャンドルに火を灯して作ったインスタントラーメンは、クリスマスのディナーに勝る嬉しさだった。
小さなツェルトでも、たとえばブルーシートとロープで作ったシェルターであっても、ほんの少しだけ少年の気持ちと冒険心があったらなら、キャンプはいつだって僕らをトムソーヤの世界につれていってくれる。
それがシンプルキャンプの真髄なんだ。
(留守にしているためタイマー記事)
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2008年08月26日
木霊(こだま)
うっそうと茂るブナの森を歩いているときのこと
僕のほか誰もいるはずがないのに、背後にふと幽かな気配があった
振り向いても、一面のブナの森に一本の林道がのびているだけ
信州の林業家に学生時代に聞いた話を思い出した
チェーンソーを持って山に入ると木々がざわめくのが聞こえる
彼は、確かにそう話してくれた
木々が、切られるのを知って、ザワザワとざわめく
その気配は散策で山に入ったときとは明らかに違うのだという
それが何なのか僕にはわからないけれど、
太古の昔より、
木霊(こだま)という存在があることだけは知っていた
木の習合意識か精霊か、あるいは神なのか
ともかくも自然の未知なる存在なのであろう
僕を振り向かせたのも、
そうした未知なる存在、木霊かもしれない
僕のほか誰もいるはずがないのに、背後にふと幽かな気配があった
振り向いても、一面のブナの森に一本の林道がのびているだけ
信州の林業家に学生時代に聞いた話を思い出した
チェーンソーを持って山に入ると木々がざわめくのが聞こえる
彼は、確かにそう話してくれた
木々が、切られるのを知って、ザワザワとざわめく
その気配は散策で山に入ったときとは明らかに違うのだという
それが何なのか僕にはわからないけれど、
太古の昔より、
木霊(こだま)という存在があることだけは知っていた
木の習合意識か精霊か、あるいは神なのか
ともかくも自然の未知なる存在なのであろう
僕を振り向かせたのも、
そうした未知なる存在、木霊かもしれない
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2008年08月11日
怖いキャンプ

(旅行中のため、記事予約設定による自動アップ)
夏場になると、盛んになるのが怪談。どうして夏に怪談なのか。冬ではいけないのか。こんな疑問を常々思っておりまして、こんどゆっくりと考察してみたいと思っています。
さて、アウトドアの怪談なんていうものがございますが、古くは多くの怪異は山野を舞台にしておりますから、今で言うところのアウトドア。古くなくとも、戦前戦後の記録などをひもときますと、秘境だった黒部川流域には、多くの怪異が報告されております。特に、怪異の中心地点は、現在の薬師小屋近くのカベッケが原。カベッケとは河童あるいは化け物というような意味で、小屋や登山道などないかつては、このあたりでビバークすると、たいていさまざまな怪異に遭遇したといいます。
がやがやと人の話し声が近づいて、テントのすぐ横までやってくる、なんていうのは茶飯事のこと。メキメキと木が倒れる音がそこらじゅうで発生するも、倒木など見当たらない話や、正体不明の破裂音がひっきりなしに聞こえたり・・・と数知れず。
これらは妖怪のようなニュアンスも感じられます。しかし、これが現代風になり、さらに自分が体験するとなると・・・
場所は山梨県道志村の某キャンプ場。丹沢登山の基地になる、気持ちのいいキャンプ場を探しているときのこと。行き当たりばったりに見つけたキャンプ場に入り、ひとけのない場内の好きな場所にサイトを設営。理由もなく場内の一角にふと嫌な気配を感じたが、そのときは別に気にするほどではないため、忘れてしまった。
しかし、後で知ったのは、このキャンプ場で自殺があった、という噂。トイレの裏で、垂木に紐をかけての首吊りということで・・・嫌な感じだな、と思った場所とドンピシャ。実際に役所に問い合わせて確認したわけではないので、なんとも言えないけれど、都市伝説ではその幽霊がこの付近に出るとされていた。営業妨害になるので名称は伏せたままにします。
しかし、道志の山中を歩くと、深い森の中に使われなくなったキャンプ場跡地や朽ちかけたロッジがたくさんあるので、こっちのほうが気味悪さは数倍上かもしれません。こうした話とは別に、キャンドルランタンの灯りだけで周囲の里山を散策するのも、けっこうどきどきするもの♪ ゆらゆら揺れる炎と影で、怖さは倍増です(^^;;
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2008年07月16日
老人のソロキャンパー

苗場山を登った帰りにちょっと遠回りして休暇村磐梯高原のキャンプ場を利用したときのこと。テントの設営を終え散策していると、ふらふらと一台の汚れた軽ワゴンが駐車場に入ってきた。あっちに行ったり、こっちに来たりとなんだかとても頼りない運転をしている。やがてエンジンが止まった。しばらくすると車窓からプカリと煙。どうやらタバコを楽しんでいるようだった。
そして、ようやくのこと。姿を現したのは80歳に手が届くかと思える小柄な老人だった。彼は一匹の雑種の老犬を助手席から下し、駐車場横の雑草がいっぱいの草地サイトを丹念に歩き回っている。そこは、ほとんどテントが張られることのない、人気のないサイトだった。小さな軽にひとりの老人・・・キャンパーには見えない。
が、意外なことに、老人は雑草がぼうぼうの草地の真ん中で立ち止まると、そそくさと車に戻り、その場所に白い小さな使い込んだ軽自動車を乗り入れ、なにやらゴソゴソ。なんと後席からテントやテーブルを下ろし始めたのだ。
“あんなお年寄りが、ひとりでキャンプ?”
老人は、小柄な自身同様の、どこのメーカーのものともわからぬような、とても小さなテントを張り終えた。次に、ホームセンターなどで売っている、テーブルとイスが一体になったブルーのテーブル&チェアをセッティングした。テーブルの上には家庭用ガスコンロが1台とコッヘルが1セット。主要装備はたったこれだけだった。
テーブルに置かれたコッヘルは、一人用にしては大きめだった。老人はチェアに座ると湯を沸かし始めた。テーブルの上にはコーヒーカップがふたつ。あれ?とこのとき思った。老人のソロキャンプということで、花壇の縁石に腰掛け遠めに見ていたのだけれど、後からだれかくるのかな、と興味をそそられた。
僕は犬連れだったので、犬を操り老人の方に近づいた。サイト横を通りながら「こんにちは」とお決まりの挨拶。遠くの森をじっと眺めていた老人は、ちらりと僕の方を向き、ペコリと顔を下げると誰も座っていないテーブルの向かいに視線を投げた。
「気持ちのいいキャンプ場ですね」
と言うと、何度かうなずいた後に間をおいて「ここはよい場所だよ」と犬の頭を撫でながらつぶやいた。そこで、なんとなく「いつもお1人で?」と聞いたのをきっかけに、ふたことみことばかり話をした。
子供のできなかった老人は、定年後に軽自動車を購入し妻と犬とで方々をキャンプして回りはじめたのだという。「ここはね、家内が大好きなキャンプ場だったものでね」と実に幸せそうな笑顔。その奥さんはどうしたのか気になったところ、「昨年の冬にね、ぼくひとりになっちゃったものだからね・・・」と、老人は犬の頭を撫でた。ここで僕らの会話は途切れて終わった。
きっとこのご老人は、ずーっと働き詰めの人生で、旅行すら行くことはできなかったのかもしれない。そして定年を期に、楽しい思いをさせてあげられなかった妻のために、小さな自動車とちっぽけなテント、そして安いテーブルセットを購入し、二人でキャンプをして回っていたのだろう。長年労苦を共にしてきたその妻も半年前の冬に亡き人となり、老人はひとりきり。
“かすがい”である子供がいない分、きっとふたりで、お互いを労わり信頼しあい、ずーっと生きてきたのだろう。その大切な妻を失ったこの老人の悲しさは、果たしていかばかりのものであったか・・・心の痛みは、おそらく僕などには想像もできないほど大きかったに違いない。
こんなちっぽけなテントとテーブルであっても、ふたりで作った思い出は人生の宝物なのだ。あちこち痛んだテントを見れば、ほんとうに方々を二人で巡り歩いたろうことが想像できる。穴や傷は丹念に縫われており、それは今は亡き妻がキャンプの思い出話に笑顔しながら縫ったものであろうか。
だからこそ、今はなき妻の笑みを、在りし日のようにテーブルの向こう側に見るために、この老人はキャンプをしているのかもしれない。僕は無言で頭を下げると、その場を後にした。老人の姿は、沈みつつある夕日の中に寂寞として、悲しげにかすんで見えた。
この休暇村磐梯高原キャンプ場は、僕も大好きなキャンプ場です。秋の平日、ここでのんびり過すのが気持ちよくて、毎年訪れています。そして行く度に、この老人が小さなテントを設営していた駐車場左側の手前の草地に目がいってしまい、泣き出したいような、そんな無常な気持ちを覚えてしまいます
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2008年07月09日
自己ベスト記録

ギネスのように○○世界最高記録、などと比較しなければ、誰もが自分自身の中で、何がしかの最高記録なるものを持っているものです。つまり「自分記録」です。
たとえば「連続テント泊記録」
たとえば「連続車中泊記録」
たとえば「バックパック最軽量記録」
たとえば「テント設営時間最長記録」
などなど
僕にとって、僕自身の身近な方々と競い合っても、たぶん負けないだろう、的な記録は風呂。まあ入浴時間の個人記録なるものもありますが、これは自分のこれからの一生の間でも“たぶん二度とありえないだろうな”と思えるもので、題して“入浴しない記録”。言い換えれば“身体を洗わない記録”とも言えます。いま考えれば実に不潔極まりない記録です。
これは南アルプスの山中を縦走(バックパッキング)漂白したときのもの。日数は真夏の33日間。ずーっとテント泊で人のほとんど入らない南部の隅々まで歩き回ったときの記録です。もちろんこの間、一度も着替えなし。
雨に降られ濡れても、そのままシュラフに潜り込めば朝までになんとか乾いてしまいます。数日すると自分自身から、なんともいえない異臭が漂ってきますが、それも10日もする頃には気にならなくなり、バックパッキング20日めにはまったく臭わなくなります。途中、二度ほど標高が低くなり集落の近くを通った際に食料の買出しで雑貨屋などに立ち寄りましたが、そのときの店を守るお婆ちゃんの僕を見た表情が今だに忘れられません。
さて、最終的に降りたのはピストンして到達した広河原小屋。僕にとっての大恩人が経営する山小屋です。木陰で飲む炭酸水の美味さは、水ばかりを口にしてきた僕にとって、まさに甘露です。そしてバスを待つ間に着替えるのですが、長袖シャツはいいとして、下のTシャツがなかなか脱げません。グイとひっっぱって脱ごうとしたら、音もなく裂けてしまいました。
ひっぱると裂けるので、Tシャツが細かいボロ布のようになって足元に散らばります。ずーっと着ていたので、汗、雨などで酸化してボロボロになってしまったようでした。真新しいタオルで顔と上半身を洗い、ついでに髪も。髪からは砂がたくさん流れ出て、自分でもびっくりです。石鹸の泡もたちません。三、四度繰り返し洗ううちに、ようやく泡立ちしました。
キレイさっぱりし、下着もすべて着替えたあと、脱ぎ捨てた衣類をビニール袋に入れるとき、そこから発せられるものすごい異臭に自分でも驚きました。しかし、衣類の異臭よりも、よくぞ一ヶ月以上この身とともに過してくれたなぁ、という愛おしさのほうが大きかったのですが、ビニール袋から漏れる悪臭に、急行電車のダストボックスに入れてしまいました。
こんなことを書いてますが、僕は大のお風呂好きです。その証拠に、連続入浴時間自己ベストも持っています(^^;;

当時着ていたのはヘインズのポリ混コットンのTシャツ。コットんなので水分を含み、乾きが遅いので臭くなり酸化してしまったのでしょうか。今は化繊中心の速乾性を愛用しています。アウトドアは速乾性ですね。
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